3.11-東日本大震災から6年目に寄せて 「忘れない防災」(ミニコラム)

こんにちは、豆助です。

今日、2017年3月11日で、東日本大震災から6年目を迎えました。

各ニュースメディアが、節目の報道を行ったりしていて、一番私が印象に残ったのが、Yahoo!Japanが銀座ソニービルに出した広告。ビルの壁一面にかけられた垂れ幕には、津波の高さを表す赤いラインが入り、そこには

「この高さを知っているだけで、とれる行動は変わる。
あの日を忘れない。それが、一番の防災。ヤフーはそう思います。」(メッセージ抜粋)

と書かれていました。

防災庁舎=宮城県南三陸町、2012年3月撮影

「忘れない防災」ということに関して、私はとても共感しました。

2012年と2013年、私は高校生ながら新聞部の取材として、旅行として、東北へ赴きました。

岩手・宮城・福島の3県の当時の状況を見て、本当に復興は終わるのだろうかと思いました。

その後に書いた記事で、伝えてゆくことの使命、そして現地で経験していない私たちが忘れないことの大切さを記しました。

津波によってビルの屋上に上がってしまった車=岩手県陸前高田市、2012年3月撮影

あれからもう6年、現地の様子を伝える報道を見てみると、がれきは撤去され、廃棄物を詰めた黒い袋が防波堤のように積まれていたり、岩手県陸前高田市では土地の″かさ″をあげるためのベルトコンベアが稼働していたりしています。

福島第一原子力発電所の事故で帰宅困難区域などになった地域も、6年前に比べほとんどが解除され、地元に戻る人、避難先で新しい生活を営む人、それぞれの生き方が生まれています。

6年という歳月が経って、南三陸町で私が訪れた仮設商店街「さんさん商店街」は常設の商店街として生まれ変わり、震災遺構として残す建物、壊す建物の選別も進んで、まさに節目を迎えているといえるでしょう。

南三陸町の志津川高校の生徒たちが制作したモアイバッジ

南三陸町といえば、2012年に高校の文化祭で新聞部として取り組んだ活動があります。南三陸町の志津川高校の生徒たちが、流されたバスに代わって町に新たなバスを寄付しようと進めていた活動が、今年に入ってようやく実を結び、町にバスを寄贈したそうです。町のシンボルの、イースター島から送られたモアイ像をモチーフとしたグッズを販売し、その収益をバスの購入に使う取り組みで、私たちはそのバッジを現地で購入してきて、文化祭でバッジを代理販売する形で支援を行いました。

また当時新聞部だったころは、継続して「震災特集」を掲載していましたが、それを離れた今、東北と直接のつながりはあまりません。このようにして繋がりや記憶が薄れるのか、と懸念も悔いもあります。

道路脇に設置された空間放射線量を表示する測定器=福島県いわき市、2013年8月撮影

書きたいことがまとまらない…。ミニコラムということでこの辺でしめます。

忘れていくこと、伝わらなくなるなることがどれだけ恐ろしいか。情報社会に生きる私たちだからこそ、それがわかるでしょう。

今必要とされているのは、震災を忘れずに防災意識を高めること、そしてもちろん継続して支援することです。旅行に行って現地にお金を落とす、なんてやり方でもいいですし、コンビニで買い物してお釣りを募金することでもいいでしょう。小さな積み重ねで、ここまで復興が進んだのです。

これからは、復興というよりも「新しい町づくり」がはじまります。3.11の記憶をとどめ、継続して応援していくこと、もしも自分の身に起こったときに、対応できるようにしておくことが大切です。

記憶を風化させないで、自分自身の防災に役立てる。それが「忘れない防災」です。

2017年3月11日 豆助

mamesuke

福岡出身、関西で学ぶ大学生。学生メディアとして、大学新聞で活動中。ガジェット好き、旅行好き、カメラ好き。鉄道もちょっとかじってます。

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